「相談されていないと、死にたくなる」相談依存症だった話。

「相談されていないと、死にたくなる・・・」

当時19歳だったときの話です。

私は足りない自尊心を人の相談に乗ることで満たしていました。

自分は何の価値も無い人間だけれども、人の相談に乗ることで人のためになっている=すなわち自分に価値があるという考えです。

というわけで相談に乗られなければ価値が無いという思考だったので、全身全霊で相談に乗っていました。

自分で言うしかないので言いますが、悩んでいる本人よりも真剣でした。

だって自分の存在意義をかけていますからね。

「チカラになれなければ死ぬんだ」という気持ちでやっていました。

狂気的です。

実際うまくいかなかった場合は絶望して死にたくなりますからね。

「相談に乗ってほしい」といわれると気分が高揚する。

友人の相談に乗っていたり、「話を聞いてほしい」と言われたら気分が高揚します。

言われたらためらいも無く大学の授業はサボりますし、真夜中だろうが朝までだろうが相手が気が済むまで付き合います。

何をさしおいても優先順位を一番高く設定していました。

これより重要なことなどこの世にありません。

一種の覚醒状態になるんですよね。

アドレナリン分泌状態ですね。

話は耳で聞かない。全身で聴く。

そんな自分の存在意義をかけて相談に乗っていたので、聴くチカラというのは否が応でも身につきました。

普通の人は人の話を耳だけで聞いている人が多いように思えます。

ぜんぜん違うんですよ。

耳だけじゃ不十分だし、耳以外の感覚をフルに活用することです。

話は全身で聴く。目を一番使う。

話をするときに一番使うのは目です。

相手が話しているときの表情・目の動き・しぐさ・雰囲気そのすべてを自分の目で見ながら相手の心の動きを透かして視るように話を聴くんです。

相手の感情や感性を読み取りつつ同調します。

読み取ろうとすることで話の内容と合わせて相手の感情を感じることができるので、理解が深まります。

自然と相手を読み取ろうとすると同調します。

同調は否定や批判とは無縁の性質ですから、相手に安心感を与え、話しやすくなります。

目に見えないことばかり言っているので「何言っているの?」と思うかもしれませんが、こういう雰囲気は相手にしっかりと伝わります。

精神的なことですし相手も真剣ですからね。

僕も相手の味方ですし、よほど非人間的なことでなければ相手を否定することもありません。

基本的に全肯定しますからね。

同調しすぎて病みをもらうが、問題ない。

悩んでいる相手に同調するのですから、自然と病みます。

「あほじゃん、」

「一緒に堕ちてどうする」

と思うかもしれませんが、仕方ありません。

しかし相手に元気になってもらいたいと思う気持ちの方が上ですので、病むのは一人でいるときだけです。

なんせ私が相手を支えないといけない。

しっかりしないといけない。

だから頼られているときは病んでいる暇などないのです。

逆に一人でいるときがしんどいですが。

ほめ言葉がすべての活力

死ぬ気で相談に乗り同調して病んでしまいますが、おかげ様で多くの褒め言葉をもらうようになります。

「なんでこんなに話しやすいんだろ?」

「安心する」

「○○にしか話せないんだけどさ」と言ってもらえます。

この言葉ですべての苦痛が吹っ飛びます。

自分に価値はあるんだ。と思える最高の褒め言葉ですね。

特に「他の人には話せないんだけど、しれのには話せるんだよね。」と言ってもらえるのが最高に嬉しいですね。

他の人にはできないことをしていると、自分の必要性を最高に実感することができますから。

結果的に元気にさせることにこだわる

相談に乗っていてブレずに思っていたのが、時間はかかっても絶対にこの子・この人を元気にさせるということでした。

「そんなこと当たり前ではないか?」

と思うかもしれませんが、ほとんどの相談依存の共依存者は、自分に依存させ症状を悪化させます。

私は過去に3人このタイプの共依存者と話したことがありましたが、内心はらわた煮えくり返っていました。

「悩んでいる人が自分に相談しているのにどうして元気にさせようと思わないのか!?」

「逆に症状を悪化させるなんて、相手を不幸にさせているだろ!」

「必要どころか、お前は害ではないか?」

と思っていました。

悩んでいる人に元気になってほしいというのが人間として自然な感情だと思っていた僕には大変ショックで信じられませんでしたね。

僕は僕で歪んでいましたが、この点で同類扱いされるのは大変心外です。

自分の存在意義を満たすために、他者を不幸にする共依存者は大嫌いですし人をモノ扱いしています。

優先すべきは自分の幸せではなく、他者の幸せなのですから。

元気になったら終了。嬉しいけど自分自身は鬱状態になる。

結果的にほとんどの相談者が私が話を聴くことにより元気になっていきます。

悩んでいる人が笑顔になってくれるのは何よりも嬉しいことですね。

こんなに嬉しいことはこの世にないとすら思っていました。

そして、私は生きていていい。

この人のためになれた。

価値があったんだ。

そう実感できる嬉しい至福の瞬間ですね。

しかし、嬉しさの後はお別れもあります。

相手が私の元を去っていきます。

寂しさと孤独に打ちのめされます。

自分が元気にさせようと努力して相手も元気になった。

ハッピーエンドで嬉しいはずなのに悲しい。

もう必要とされない。

嬉しさと共に寂しさと悲しみに襲われます。

寂しさと悲しみに襲われ、自傷行為をしたり自暴自棄になったりすることもありますが、そんな気持ちになっている自分に罪悪感を感じます。

「いやー元気になってよかったー!」と笑いつつも悲しさに胸が締め付けられます。

しかし落ち込んでいる暇などありません。

一時的に自分の存在意義を喪失してしまいますが、「いやいや私を求めてくれる人はいる!」と自らを奮い立たせ再び悩んでいる人を探し出して、相談に乗ることになります。

こうして最初に戻ります。

まとめ

これが19歳のとき私が陥っていた相談依存症の一連の流れです。

相談依存症で得たものは聴くチカラと人の気持ちを読み取るチカラです。

自分の存在意義を「人の話を聴き元気にすること」に全力で費やしていましたので、自然と聴く力、相手の感情を読み取ること、話さなくても性格や家庭環境などがぼんやりと感じられるようになったことなど目に見えない部分ですが自然と身につきました。

それは今でも役に立っている自分の資産ですね。

しかし、言うまでも無く相談依存症は危険であり、自分の存在意義をかけて相談に乗ることは健全ではありません。

相手や友人といるときは元気ですが、ひとりになったときはひどい鬱状態でした。

でも自分じゃ気づけないんですね。

自分が病みながらも相手のことばかり考えていました。

面白いのが、相手が病んでいるとき自分が元気相手が元気になる自分が病むという間逆の精神状態になることですね。

まあ相手が病んでいたなら私が元気にしないといけないという思考でしたから。

この相談依存は半年間ほどのもので、その後はこの危険性を実感しとあるキッカケもあったので、相談されることに依存することを辞めることができました。

それ以来相談依存症に陥っていません。

足りない自尊心を埋めるために自分の存在意義をかけることはありませんし、自分自身で自分を満たせないからって他人で満たそうとするのは愚かな行為であることを理解したからです。

以上が私の共依存症であり、相談依存症に陥っていた体験談になります。

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